"あの人"は私の為にロコモコ丼を作ってくれた事がある。
とてもニコニコしながらつくってくれた。
私はそれほど乗り気じゃ無かったし、実際どういう味だったか覚えてないぐらいには感動も無い。
むしろ思い出すのは嫌悪感と罪悪感。
私はあの人がどうでも良かった。笑おうが泣こうがどうでも良かった。
ただ泣かれたり怒ったり、話し合いなんてめんどくさかったから、「どうでもいい」と思ってる事は黙ってるのが人間関係的に良い判断だろうと思った。
私があの人にされてきた事を考えると、どうでもいいと考える事ぐらいは許されるよな、と思ってた。
「美味しかった、ありがとう」そう言った。
嘘の笑みを作った、嫌悪感。
心の中でどうでもいいと思ってる私は、
私が喜ぶために材料を買い、私の家に来て、台所に立ち、時間を使って心から料理を作ってくれたあの人の気持ちを
心底踏み躙っているんだろうなと思うと、罪悪感。
あの人は私の心の内を知らないから、私も言葉にして心の内を話さなかったから、あの人の中ではきっと、数ある一つの思い出に換算されてると思う。
私としても、あの人の気持ちを踏み躙った嫌悪感と罪悪感をそのまま処理した。
私がしたひどい事とあの人が私にしたひどい事、どちらが勝つんだろうかと、考えていた。
私が書きたいのは、思い出話じゃない。
いつだって私は、人に罪悪感を自分に嫌悪感をする準備をしている心に貧しい奴なんだなって事。
そしてきっと、それは私だけじゃない。
世の中に多くはいないと思う。でも少なくはない。
人の顔を見て、「この人をいきなり叩いたら悲しむだろうな」なんて事を心の中に思うのは。
私を目の前に屈む人を見て「危ない」と思うのは。
傷つけられた分だけ傷つけてやろう、
いつの間にかその感情の的は1人から自分の周り全員に広がる。
傷つけられる前に傷つけたい。
でも、そうしたらその人は悲しんだ顔をして私から離れていくだろうし、私も人を傷つけた事を後悔するだろう。
わかってる。だからしない。私は大人だ。
ずっとずっとずっと、心の中。
貧しい心が豊かになる日まで優しい人を傷つける事は絶対にしてはダメだ。
豊かになったらきっと、他人を傷つける事も、自分を傷つける事も無くなるだろう。
だけどやっぱり、笑顔はきついな。