うつ病の偏見に思う事

「助けを求められるだけマシなレベルなんだよ」ってよく聞くけど私は違うと思うなぁ。
まず一般的なうつの概念がさ、おおごとな病とか特殊な病気だと思うの。だけど私は認知度が花粉症とかインフルレベルだとおもってて。
だって実際、うつは誰にでもなる可能性の物だし、強弱はあれど辛い思いをした事に変わりはないじゃん。それを他人が「その程度なの?」って言うのって、「花粉辛いんだよね、鼻水が出て」って言ったら「私もー。頭痛止まらないし涙も出るし大変だよね」っていう会話と同じぐらい"比べられない症状"だと思うの。「いや、私そこまでひどく無いんだけど」かもしれないじゃん。でもだから花粉症じゃないの?って言ったら違うでしょ。
極端な話、うつだったら生きようかどうかなんて迷わ無いから、誰にも言わずに姿消してる。そしたら今生きてる全ての尊い命は"うつ病ではない何かに勝手に苦しんでる不思議な人達"になる。
でもそうじゃない。気分が抑揚してとにかく辛くてでもどうにかして生きる道を探した人達だよ。私はそうして頑張ってる人達は偉いと思ってる。

 

それでさ、「本当に辛い奴は助けを求める気力すら無い」≒「助けを求めてるならうつじゃない」
は本当に、見当違いだと思う。
気分に抑揚は誰にでもあるし、辛くて苦しい、死にたいって思う時もあると思う。
だけど助けを求める事は、現代において、生きるために一番有効な手段であり、頭がいい事なんだよ。
助けを求めない、求められる気力すら無いのは残念な事に、本当に不器用な生き方だと思う。周りがしっかりしてたら、病院に連れてってくれたり、世話をしてくれるかもしれない。でも日本はうつの人ほど家庭環境が悪い人が多いから見てくれる周りなんていないだろうし、頼れるのは自分だけって人生になると思う。
そこで誰かに頼れない、声を上げられないのは致命的なもの。

 

私が病院に行ったきっかけはそういう動機だった。
別に病名がうつじゃなければそれでいい。私が私を守る生き方ができればよくて、それが偶々精神科って名前なだけだ。
薬と月1、30分のカウンセリングで一年ぐらい経ったかな。カウンセリングは毎回泣きながら経験して辛かったこと、嫌だったこと、苦しかったこと、親に話せなかった心の内を全部吐露していって。
最近、ちょっと安定してきた。お風呂も入れるし掃除も洗濯もする気力があって何より、普通の人が当たり前にやってる行動に近づけてるのが嬉しかった。
精神薬って中々合う物を探すのが難しいらしくて、私は一種類目で改善してる実感があるから、本当は薬で治ったわけじゃなくてうつじゃ無いんじゃないかって知人に言われた事があった。
やっぱり薄々思ってて、診断書にはうつって書いてもらったけど、症状言って申し込めば優しい医者は書いてくれるし、本当にうつ病では無いんだろうな、薬を飲んでる自分に安心しているんだろうな、って自覚をしてもなお飲んでる。なぜなら、私は健全な人になりたいのではなく、普通の人らしい装いができればそれで良いから。
生きる選択肢としてうつである事を選んだし、結果私の症状は改善してる。
私と同じような悩みを抱えてて普通の人として強く生きていく人もすごい事だけど、私はそれをしたら自分が好きじゃなくなると感じたからやめた。
現代はいろんな選択肢が増えてる。昔とは違ったプレッシャーや生きづらさがある中でいつまでも不器用ではいられないよ。